55.思考のレッスン 丸谷才一

思考のレッスン (文春文庫)

思考のレッスン (文春文庫)

 これは面白かった。知的複眼法を読んだときにもこんなに納得はしなかった気がする。もう一回知的複眼法ももう一度読み直してみよう。

 はっきり言って、この本にあるtipsは多すぎてその中でも、「これは」というものについてまとめてみる。ちなみに、引用扱いだが引用ではなく要約なので少し注意。

本の読む前に、あるいは手法論

本をどう選ぶか

ひいき筋の書評家を持つ

うんと感心した書評があったら読んでみる。もう一つ大事なのは、その書評を書いた人の本を読んでみる。この二つをやるととても具合がいい。(p.118)

入門書の選び方

偉い学者の書いた薄い本を読め。(p.118)
百科事典などの大項目。ある程度の分量もあり、かつ長すぎもしない。その分野の全体の展望を捕まえるには、あれほど具合のいいものはない。(p.121)

ひいき筋の書評家というのは、僕で言えば404 Blog Not Foundであり、スゴ本であり、情報考学である。他にもあるが。

インデックス・リーディング

本を読んで感心したり大事だなと思ったことは線を引いたり書き込みをし、それを見返しのところにメモしておく(索引を作る)。(p.167)
索引から読め。索引に目を通すと、一体この人は何に関心があってこの本を書いたのかというのが分かる。(p.167

面白いが難しいというか大変そうだな。だけど、こういうのは一旦妄信してやってみるしかないんだよね。よさを知るためには。

本を読んでいる間に―読書と思考

まとまった時間があったら本を読むな

まとまった時間があったらものを考えよう。(p.138)
そして、考えた挙句、これを読まなければならない本だと分かれば、毛嫌いしていた本でも必要のせいで面白く読める。

本を読むだけでは足りず、そこから自分で思考することを意識すること。

ホーム・グラウンドを持とう

常に、その人のホーム・グラウンドは何かを考えて、そこから分析と比較を始める。これが僕の方法なんですね。(p.147)

河上徹太郎は「一つの主題では評論は書けない、二つの主題をぶつけると評論が書ける」と書いていらした。これは、実にいい教訓だなと思った。常に複数の主題を衝突させる。当面の対象と自分のホーム・グラウンドをぶつけることによって、新しいものの見方、発想が出てくるんじゃないか。(p.150)

比較と分析

主題について考えるときにその対象の中で、特に自分が関心を抱いている要素のこだわって分析してみる。さらにそのとき、別のものと比較しながら分析する。(p.200)

これは、一つ前のホーム・グラウンドを持つということとあわせて重要だろう。というか、この本の中で最も学んだことはここだと思っている。

良い問はどのようにして得られるか

自分から発した謎であること。(p.180)
人に話さないこと(これは少し疑問?)。(p.181)
一番大事なのは、謎を自分の心に銘記して、常になぜだろう、どうしてだろうと思い続ける。思い続けて謎を明確化、意識化すること。そのためには、自分の中に他者を作って、もう一人の自分に謎を突きつけていく必要がある。(p.181)

謎を考えるためにはまず自分の心の中の謎と直面して、それを反芻する。ああでもない、こうでもないとひっくり返してみる方が、実は早い。もう一つ、謎を考えるためには頭の中にある程度の隙間を作っておかなければいけない。ところがあわてて本を読むと、その隙間が埋まってしまう。(p.196)

とにかく考えること。本を読むことは重要だが、それ以前に部分として良い問がなければ何もかけないし発表も出来ない。つまり、ある意味ここが最重要なのだ。

仮説を立てる

多様なものの中に、ある共通の型を発見する能力。それが仮説を立てるコツだといっておきたい。(p.212)
多用なものを要約、概括して、そこから一つの型を取り出す。それがものを考えるときに非常に大事なことだと思う。(p.214)
自分の立てた仮説が細部だけでなく、もっと大きい枠組みの中で大丈夫かどうかを確かめる。(p.220)

本を読み、思考した後に―文章の書き方

ものを書くときにはセンテンス全体を考えてから書く(p.229)

推敲はあとでまとめてすればよろしい。

行き詰ったときは、今まで書いた部分を最初から読み返すこと(p.231)

ここは、どちらかというと他の文書読本にあるようなことだが、この2つはなるほどー、と思えた。

そのほか。

 この本を読むにあたって、タイトルにあるいわゆる「思考」のトレーニングするためのコツは三章以降にある。つまり最初の100ページは多少なりともわき道にそれた、丸谷才一の歩んできた一生、丸谷才一を形成してきた環境について。それでも、面白い部分も多い。特に面白かったのがレトリックの面白さについて。

p.53
「それは、現代日本文明が、レトリックを捨てた文明だからなんですよ」
 これには、教えられたと思いました。
 つまり、かつては日本にもレトリックというものがあったのに、明治維新でそれらを捨て去ってしまった。

中略

p.54
 つまり、昔の日本人ならば「白玉クリームあんみつ」には比喩的に「夏の月」といった名前をつけたのもでしょう。そういう風流な態度がごく当り前のことだった。それが、「白玉・クリーム・あんみつ」というふうに、ただ中に入っているものの名前を羅列的に並べて書く。「夏の月」と命名するような奥ゆかしさが全くなくなって、ただ並列的、団子の串ざし的になっている。これが現代日本文化なんだなあと思ってびっくりした。

以前読んだ「星の王子さま」が光文社の訳では「ちいさな王子」になっていた。良し悪しは別として。