56.「関係の空気]「場の空気」 冷泉彰彦

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)

 「KY」(空気読め/空気が読めない人)だとか「BKY」(場の空気が読めない)だとかいう造語が出来たことからも分かるように空気という言葉をよく聞く。言葉そのものはかなり前からあったという話もあるが、私は知らなかった。
 場の空気が読めないということは、トークを遮ったりするような確かに困った印象がある。しかし、空気は少人数での会話内だけで成立するものではない。その端的な例として挙げられているのが、沖縄特攻における戦艦大和に関する記事だ。大和の出撃を無謀とする人たちの案には根拠となるデータがあったのに対し、特攻派は単に「空気」のみを理由として押し通したという。相手が空気では論破しようがない。これは柳沢厚生労働省の「女性は子どもを生む機械」という発言や久間防衛相の「原爆投下、しょうがない」という発言も同様だ。実は文脈を追っていくと彼らの発言は、必ずしもこの文章どおりの意見を表明しているわけではない。しかし、世論という空気がそれを許さなかった。
 このように空気は、時に相手が論理的あったとしてもそれをものともしない強さがある。これをうまく使えばいいが、空気だけでさまざまなことが決まらないようにするのも重要だろう。