52.「クビ!」論。 梅森浩一

「クビ!」論。 (朝日文庫)

「クビ!」論。 (朝日文庫)

 この前読んだのは採用側の話だったが、今回はクビにする側の話。筆者は長く外資系企業に勤務していたためか、従業員が仕事に対して取るべきスタンスというものをドライに捉えていると感じた。仕事ができなければクビになってもしかたがない、と(ちなみにクビかどうかは人事部長の彼が決めるのではなく上司が決めるのであり、人事部長はそれを言い渡し交渉する役割だそうだ)。しかし、私にはそのスタンスが非常に気持ちよく感じられ、採用側の本よりもよりより面白く読めた。

この本の大筋は、多くの人をクビにしてきた経験から1)外資系にとってのクビは何を意味するのか、2)どのように交渉するのがよいのか、といったことが主軸だ。目次は次の通り。

  1. クビキラー誕生
  2. こうやって1000人のクビを切った
  3. こんな社員がクビになる
  4. 日本企業という名の最悪のクビ切りシステム
  5. 大クビ切りシステム時代をどう迎えたらいいのか

クビの対象となる人

 毎度のことながら、期待していたのは3番目のどんな社員がクビになるのかといったこと。この本では「要領の悪い人」、「仕事のスピードの遅い人」、「仕事ができすぎる人」、「上司と上手く付き合えていない人」、「特徴の少ない人」、「英語のできない人」、「保守的な人」だ。ただし、あくまで筆者の基準なので外資系のこと。そうでないと英語のできない人なんていう項目はないだろう。ここで面白いのは「仕事ができすぎる人」も実は危ないということ。あくまで外資系での話だが、仕事ができてもその分はすぐに給与に反映されるため、こなした仕事分だけはすでに支払っている。だからそれに役不足であると判断されれば―つまり、もっと仕事ができなくても安い人で十分であれば―クビにされるのだ。この考え方はシンプルで従来の日本的企業のそれとは大きく異なる。

p.58
「梅森くん。結局、君はうまくクビを切り過ぎたんだよ」
 彼によれば、1件も裁判沙汰にならないように完璧なクビ切りをすれば、もちろん会社は喜ぶし評価も上がります。ところが、逆にそれが自分の身を危うくするというのです。
 端的に言えば、用がなくなるからです。裁判が係争中の間は、会社も責任者である人物を辞めさせることはできません。実際、彼も裁判を1件抱えているそうです。その裁判が長引いているおかげで、いまの地位と給与はしばらく安泰とのことでした。

逆に、会社をクビになったからといって能力が低いと決め付けられることはない。

p.108
 外資系企業では、クビは日常茶飯事。長く勤めていれば、誰もが経験していることです。

その一方で、成果のあげられない人に対する筆者のスタンスはクールだ。

p.110
「課程も評価しろ」という議論を聞く度に、私は興ざめします。外資系企業の世界では「結果がすべて」だからです。つまり結果とは、具体的・客観的な数字の良しあしのことを指しているのです。だから、パフォーマンスの悪い社員や業績の低い社員は切られます。

ここまで言われるとしょうがないかなと諦めもする。

日本でのクビ切り

 漫画の島耕作シリーズでもよく出ているが、日本では基本的に早期退職や希望退職を募り、そこからやめてもらっているという場合が結構多い。外資系は基本的に指定解雇が普通なのだが日本ではそれができない/やりにくいのだそうだ。しかし、この方式では会社の状態が悪ければ悪いほどデキル人から仕事を辞めていくそうだ。そのことを筆者は危惧している。以前読んだ、採用側の話では「そうではない」といっているがそれはあくまで第二新卒のことであり、30を超えたような人については言及していない。

どうやって1000人のクビを切ったか

 ここも興味深かったがここでは割愛する。