65. 「知」のソフトウェア 立花隆

「知」のソフトウェア (講談社現代新書)

「知」のソフトウェア (講談社現代新書)

 知の巨匠、立花隆が自らのジャーナリズム活動を通して(あるいは元から)体得してきた手法の一部を教えてくれる有用な書である。しかしながら、少し内容がマニアックなのも事実で、一般の人には必要でない部分も多い。また、私が生まれた頃に出版された本なので情報化時代といわれて久しい現代にはおそらく会わない部分も多分にあると思う。

速読力をどうやって鍛えるか

 本書で一番面白かったのは実は概論となる一章ではないだろうか。速読に必要なことが集中力であり、それを鍛えるには実は哲学書などの難解な書物を丹念に読むことであると述べている。また、部分的にフォトリーディングのようなことを推奨していると思われる箇所が見られる(フォトリーディングに関する書物は2000年前後に日本で発売されているので筆者にそれを意図するところはないはずである)。

一ページに二秒間だけ視線をただよわせてみよ。その際、読むという意識を完全に捨てることが肝要である。あたかも物でも眺めるかのように、活字の字面を眺める。一ページに印刷された活字情報を読み取るのに二秒間は短すぎるが、「活字が印刷された一ページの紙」というモノを眺めるためには、二秒間というのはけっこう長い時間なのだ。

 もちろん、筆者もこれで全てが読めるとは言っていない。時間がなく読めない本には少なくとも目を通して気になる部分は流れに任せて読むことを勧めるといったレベルだと思う。

その情報は正しいのか?

 もう一つは、ジャーナリストにとって最も基本的な、そして重要な「その情報が本当に正しいのかどうか」ということを説いた十二章だ。「ウラ取り」や情報格差ー一時情報、二次情報、三次情報、そして四時情報ーの重要性を説いている。

 とにかく「一歩でもオリジナル情報に近づけ」という原則を常に忘れぬことである。そして、自分ではほんとうのオリジナル情報をつかみ、その情報量が二次情報(直接ある情報を五感によって得た人から聞いた情報)、三次情報(二次情報にさらに一人の中間情報提供者がいるケース)と比べてどんなに豊かであるかを身をもって、何度も味わってみることである。

 この姿勢は、インターネット利用者にとって重要だろう。
 例えば、はてブに載ったりするブログの情報の多くは、少なくとも三次情報以下だと私は考えている。そこには、確かに深遠な思考プロセスが介在しているものもあると思われるが、その元となる情報が間違っていては全く意味をなさない。それどころかそれが間違った方向に読者達を先導する可能すらある。このような、だまされる(情報提供者の意図に関わらず)利用者については愚かとしか言いようがない。
 もちろん、一部の週刊誌などが少ない情報などから面白おかしくウケる記事を書くようなヴァーバル・ジャーナリズムはあまり好ましいとはいえない。だが、そういった分かりやすく間違った記事を批判するのは結構わかりやすく、もの言うブロガーなどが声を上げて批判する。ブロガーに関しても、お互いの抑制作用ー正しくないと思った記事に対しては批判が起こるーはある。だが、本当に上手く書かれた非良心的な記事については目をしっかり光らせておかないとだまされることになりかねない。
 オリジナルの情報にあたる、あらゆる情報にこれを実践することは不可能だしする必要はない。しかし、いざとなったときにはそれをやってのける必要性があることを頭の隅においておかなければならない。