053.闇の子供たち 梁石日

闇の子供たち (幻冬舎文庫)

闇の子供たち (幻冬舎文庫)

 映画はどうか知らないが、最初の頃は読むのをやめようかと思ったほど気分の悪い作品だった。だが、それだからこそ読む価値のある本でもある。読んだあとに自分に対していかなる刺激も与えないような本なら時間の無駄なのだから。


 この作品の主要テーマはタイトルにある通り「こども」だ。お金がないがために親に売られ、幼児売春や臓器売買の対象となってしまうような言葉に出来ないような不幸なこどもの物語だ。でも、それと同時にそれを救おうとする大人たちの話でもある。そして、それは社会の、ひいては国の問題であり権力と金と暴力によって構築された揺るがない世界でもある。そんな世界に挑んだ結果のであるEDシーンは印象深かった。

 さて、最初に書いたが、本書は読んでいて気持ちのいい本ではない。気分の悪い本と言えば、ちょっと前にも挙げたケッチャムの『隣の家の少女』がある。ただ、個人的には『隣の家の少女』は、どこか時の離れた、あるいは(説明に困るのだが)どこかファンタジーの入った物語のような、リアルさの欠けたように読めてしまっていた。内容が凄惨なではあるものの、薄く霧がかった感覚が、読後感を多少ではあるがマイルドにしていたように思う。だが、この作品は違う。日本においては、すごく身近とは言いにくいかもしれないが、世界的には十分にあり得そうな話だから(フィクションだけどね)。

ジャーナリズムの存在価値

 途中から南部浩行というジャーナリストが登場する。彼は幼児売春・売春、臓器売買の実態を記事に載せようとするのだが、その記事はかなり恣意的な内容を含んでいた。事実関係が曖昧だとヒロインが指摘すると、それを一刀両断する。

真実かどうかはこれから先の話だ。君は事実関係や真実にこだわっているらしいが、まず見えない相手に挑戦すること、そして見えない相手を見える場所へ引きずり出すことがおれたちの仕事なんだ。危険を避けたければ、見て見ぬふりをするしかない。

ネットでは、記事に対して証拠が不十分、憶測が混じっているといった批判が結構起きる。その姿勢が間違っているとは決して思わないが、この南部の発言には否定できないところもある。真相を調べるには力が必要であり、力を動かすためには世論を必要とすることも多い。完全に正しいといえるものだけを評価して、そうでないものは排除するという考え方は、結果的には必ずしも最善とは言えないのかもしれない。